サルサの歴史~スペインとアフリカ1
まずサルサがいかにして誕生したかを理解するためには、その前史を知っておかないといけません 。
話は15世紀中ごろからの大航海時代。スペイン、ポルトガルを筆頭にヨーロッパ列強は競ってインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへ海外進出していきます。
そしてたくさんのそういう国々を植民地として支配します。そして更に植民地からの利益を上げるために労働力として大量のアフリカ人奴隷を移住させます。
しかし今考えるとすごい話ですなあ。ヨーロッパ人はアフリカ人を動物と思ってたんですねえ。鎖につないで、餌やって運ぶ、働かす。ひどい話ですが、とにかくこうしてアメリカ大陸各地にアフリカの黒人が移動します。
政治、経済的にはヨーロッパが、アジア、アフリカ、アメリカを支配した、なんですが、 文化というものはそうじゃない。影響するということはあっても支配はない。これが文化のいいところです。
やがてアメリカ各地で黒人たちの固有のリズムが、じわじわとヨーロッパの音楽に混じっていきます。黒人たちも白人の楽器を演奏するようになります。
イギリス領のアメリカではブルースやジャズ、R&B、ポルトガル領のブラジルではサンバ、スペイン領のカリブ海各島でもラテン音楽が生まれます。
キューバではソン、ダンソン、ルンバetc. プエルト・リコではボンバとかプレーナ。
ここまでは知ってる方が多いと思いますが、これが今のサルサのルーツになる音楽です。
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日本というと、いわゆる"ラテン的"とは正反対なイメージがあるかもしれない。
しかし、日本はもともとラテン的な国だった。
思うに従来日本は、アメリカやイギリスよりもラテン的な国だ。戦後アメリカというアングロサクソンが日本にやってきて、ラテン性が抜けただけなのだ。
ではラテン国家の特長とは何か。それは文化の豊かさだ。
伝統的なラテン国家、例えばイタリア、フランス、スペインなどが文化的に豊かであることは世界的な事実だろう。これらの国は、食、ファッション、アートなど非常に豊かな文化で著名であり、観光地としても人気が高い。
では日本はどうなのだろう。日本は伝統的にラテン的な特長がたくさんある。それがここ1世紀位で非ラテンを志向してきたのではないか。事実、昔から続く日本の伝統、文化には、ラテン的要素がたくさん見られる。
例えば、伝統的なお祭り。日本の伝統的な祭りは、ラテンのお祭りに負けず非常に多様的で一種クレイジーな文字通り"お祭り騒ぎ"なものが多い。全速力で何百キロもある神輿で疾走するお祭り、裸祭り、けんか祭り、悪態祭り、色々な形のご神体のお祭り、火祭り、極寒祭り、妖怪系祭りなどなど、そのバラエティは幅広い。
これらの祭りは、全力でトマトを投げ合ったり、闘牛と一緒に全速力で走ったり、稼ぎのほとんどを1年に1回のカーニバルで使うようなラテンの祭りと比べて、遜色ない。
江戸時代末期には世の中が混乱し、不景気だった時代に「ええじゃないか」と町人が踊り狂ったと言われる。
失われた20年の今、経済的に暗くても、日本にそういった元気はない。むしろ、どんどん内向きになっているのではないだろうか。とても不景気で"ええじゃないか"と踊り狂う雰囲気はない。
そうしたお祭りを、今の時代に初めて企画したとしたら、「何の意味があるのか」「バカじゃないのか」という批判が出ることは間違いないだろう。こうした姿勢・批判は非ラテン的思考だ。ラテン性は、無駄や遊びを省き、合理性だけを求める思考とは対極で、多様な価値観を包含し、遊びや自由を愛し、それを文化として認めようという姿勢なのだ。、
次に、食事はどうだろうか。
世界のおいしい有名料理、フレンチ、イタリアン、スパニッシュ。個人的にはブラジル料理も大好きだが、これらの国に共通する要素がある。そう、ラテン国家なのだ。
一方我らが日本食。こちらも世界で大人気だ。この枠組みでも、日本がラテン/非ラテンでどちらのグループに入るかは明白だ。
ただここで、1つの疑問が生じる。ではラテンだとなぜ食が豊かなのか、ということだ。もちろん、気候・風土が大きな要因の一つだろう。しかし同時に思想的背景も大きく影響している。文化が豊かということは、食事がおいしいということなのだろうか。
極論すると、〝食文化〟があるかどうかだ。食事という人間の根源的活動を文化とみなして、高めようと思うかどうかだ。
ヨーロッパにおいて民族以外に、ラテンと非ラテンの大きな違いは何か。それは宗教だ。ざっくり言って、ラテンがカトリック、非ラテンがプロテスタントだ。この宗教の違いが、こうした文化に対するスタンスに大きな影響を与えているのは間違いない。
一方、日本は八百万の神という程、宗教的・思想的に多様な国で、それを尊重する国だ。こうした大自然に敬意を払い、多様性を尊重する点は、日本食に生かされてきたと言えるだろう。日本が季節の自然を愛した食生活を持っているのは事実であるし、宗教や文化的にこれを絶対に食べてはいけない、というものもほとんどない。豊かな文化とは、多様性を認める土壌で培われるのではないだろうか。
こう言うとカトリックもプロテスタントも一神教のキリスト教だと突っ込まれそうだが、この2つも結構違う。カトリックにはたくさん聖人がいて敬意を払い、多くが元々異教の神だが、プロテスタントはより厳格な一神教で、登場する悪魔の多くが異教の神だ。そういう意味では、カトリックは一神教と言いながらも、比較的多様性を受け入れる要素があると言えるだろう。
ご存じの通り、プロテスタントは「質素倹約」で知られた宗教だ。その発想の中で、食事を文化とみなして高めようという発想をしにくいのは、ごく自然な流れだ。
ラテン気質については、「消費は美徳、倹約は罪悪」と言われる。ブラジルのリオのカーニバルなどは有名だが、1年に1回のカーニバルで散財する姿勢は、非常にラテン的だ。(今回の趣旨ではないので、「消費は美徳、倹約は罪悪」的な思想と、「質素倹約」思想のどちらがいい悪いといった議論をするつもりはない)
多様なものに価値を認め、豊かに消費しようという心が、食事や文化に大きな影響を与えた。イタリアやフランスといった国が、食だけでなくファッションでも世界的に著名なのは、こうした要因があるのではないか。
もちろん、この議論はラテンがいいという話ではない。ラテン的発想だけで、世の中はうまくいくようにはできていない。
歴史上、政治・軍事・ビジネスで優位に立ってきたのは、結局イギリス・アメリカを筆頭に非ラテン国家だ。例えばフランスはナポレオン時代以外に、そうした分野で輝かしい時代はないし、イタリア政治は今までうまく機能していない。最近のEUの経済的な問題児もギリシャ・スペイン・ポルトガルなどラテン国家ばかりだ。日本に関しても食は超一流だが、政治は3流だ。
そんな食や文化に関する考え方が、政治・軍事の世界戦略にも現れている。帝国主義時代、スペイン・ポルトガルの植民地経営は奴隷を使った収奪農法が中心で、コーヒーや砂糖のプランテーションばかり。そのベースは、本国においしいものを持ってきて、それを楽しもうという発想だ。
一方イギリスは植民地で"農業という産業"の育成に努め、その植民地では農業産業が育った。その結果、世界戦略に関してスペイン・ポルトガルとイギリスの力関係が一転したとも解釈できる。宗主国の経営スタイルの差が、今のアメリカ南北格差への帰結と、無関係だとは言い切れないだろう。
ここで注目したいのは、イギリス流の「食」の捉え方と植民政策だ。彼らにとって「食」は文化ではなく、育成すべき「産業」だ。こうした国々では食は産業でありビジネスであり、資源である。
マクドナルドという世界最大のレストランがあるが、これは正に大量生産大量消費モデルで、いわば車と同じ「産業」の発想だ。考えてみれば、マクドナルド、ケンタッキー、コーラ、ドミノピザ、スタバ、ファミレスビジネスモデルなど、は全てアメリカ型だ。
本当においしい日本食やイタリアン、フレンチをベルトコンベアに載せて、大量生産的なレストランにしようという発想は今でもそんなにない。マクドナルドが世界一の外食企業だからといって、アメリカが世界一食文化が豊かな国だと思う人はいないだろう。これはやはり食に対する思想的・文化的な違いだと思う。
食やアートをどう捉えるか。それは「資源」なのか、「文化」なのか。日本において、それが文化であることは間違いないし、文化と認めることで豊かになるものでもある。
イタリア・スペイン・フランスは、アートも世界的に非常に有名だ。一方イギリスで博物館に行くと、エジプトの国宝など自国以外のアートのオンパレードである。これもこうしたものを「文化」と捉えているか、「資源」と捉えているかの証左であろう。
こうして考えると、そうした思想背景をベースにして、国の在り方が変わってくることは、非常に興味深い。政治・軍事・ビジネスと、文化の優位性は、もしかすると両立できないのかもしれない。
日本はそうした中でこの1世紀、アメリカ型のビジネス・経済を取り入れたという点で、ラテン的国家からのハイブリッドと言える。ここ100年位の日本に生きていると、ラテンとは正反対な感じがするだろう。
時に決まった1つの世界観の中で、毎日同じすることに疑問や不安を抱く日があるかもしれない。そんな日には、私達の根本にはラテン的要素があることを思い出そう。多様的な世界や豊かな文化を見つめ感謝し、それを高め楽しむ姿勢が、人生に実りを与えてくれるのではないだろうか。